ルートマップ・周辺観光

ルートマップ図 小泉八雲旧居 松江城 塩見繩手 明々庵 武家屋敷 田部美術館 小泉八雲旧居 小泉八雲記念館 松江堀川 地ビール館 城山稲荷神社 椿 松江郷土館(興雲閣)【 月照寺 宍道湖 宍道湖七珍 カラコロ工房 カラコロ広場 松江大橋 鼕行列 ホーランエンヤ 水郷祭 観月庵(普門院)

写真 松江城【まつえじょう】
 山陰で唯一残る天守閣が松江市内の各所から望まれます。1611年堀尾吉晴の築城で、小高い丘を城地として周囲に内堀をめぐらした平山城の代表的なものです。市内をめぐる外堀もほとんど残っています。
 高さ30m、5層6階の天守閣は威圧するように大きく、同じ頃造られた姫路城の華麗さに比べ、松江城は武骨で実戦本位の造りとなっており、黒い下見板張りで、初期天守閣の名残をとどめています。天守閣内には、旧松江藩ゆかりの品を数多く展示し、よろい、かぶと、刀剣類から火事装束、膳、椀にいたるまで、出雲18万6千石の威容をしのぶことができます。また、室内井戸や石落としなども、ゆっくり見れば興味深いところです。
 天守閣の最上階からは、松江の城下がひろがり、大山、宍道湖も一望のもとです。松江大橋をはさんで北側が家中屋敷と町屋、南側は商店街と寺院があり、鉄砲方の侍屋敷もありました。戦災をうけていない松江は、まだその風情を残すところが見られます。

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写真 塩見縄手【しおみなわて】
 武家屋敷の前にひろがる通りは塩見縄手と呼ばれ、初代出雲藩主堀尾吉晴が1607年(慶長12年)から1611年にかけて松江城築城の際に、城地の亀田山と北側の赤山の中間にあった宇賀山を掘削して、内堀とそれに並行する道路および侍屋敷を造成してできた城下町の通りです。
 城下町では、縄のようにひとすじにのびた道路のことを縄手といい、この塩見縄手には、200石から600石程度の中級武士の家中屋敷がならんでいました。なかでもこの武家屋敷に一時住んでいた塩見小兵衛が、のちに異例の栄進をしたため、それをたたえてこの通りを塩見縄手と呼ぶようになりました。
 この塩見縄手地区は昭和48年に松江市伝統美観保存地区に指定され、さらに昭和62年には建設省「日本の道100選」に選ばれています。

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写真 明々庵【めいめいあん】
 明々庵は茶人として知られる松江藩七代藩主松平不昧公の好みによって、松江市殿町の有澤家本邸に建てられ、不昧公もしばしば臨まれた席です。
 一時は東京の松平伯邸に移されていましたが、その後松平家から郷国出雲に帰され、昭和3年菅田庵のある有澤山荘の向月亭に隣接した萩の台に建てられました。
 大戦後、管理が行き届かず荒廃していたのを、昭和41年、不昧公150年祭を機に現在の赤山の台地に移されました。
 茅葺の厚い入母屋に不昧公筆の「明々庵」の額を揚げ、茶室の床の間は、五枚半の杉柾の小巾板をそぎ合せた奥行きの浅い床で、また二畳台目の席は中柱もなく炉も向切りといった軽快なものとなっており、定石に頓着しない不昧公の好みの一端を伺うことができます。

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写真 武家屋敷【ぶけやしき】
 江戸時代初期から、松江藩の600石程度の中級藩士が、屋敷替えによって入れ替わり住んだところです。 現在のこの屋敷は、1733年(享保18年)の大火で焼失後再建されたもので、約270年前の古い姿のままよく保存され、松江市の文化財に指定されています。
 入口の長屋門は、武家屋敷の特徴のひとつで、中間の住居としても使われていました。母屋はおよそ70坪で、表側の式台玄関から座敷にいたる部分と、裏側の私生活の部分とは、造りも材料もとくに区別をして武家の公私の別のきびしさを示しています。
 正面の入口は内玄関で、ここは家族などの私用に使う出入口です。次に続く10畳の座敷は邸内で最も立派な部屋で、客は式台玄関から上り、床には香をたき、床脇にはよろい、かぶとなどを飾りました。
 座敷の前から裏側に続く庭園は、飾りをはぶいた素朴なつくりで、自然を生かした質実剛健の気風がうかがえます。屋敷の裏側にまわると家族の部屋があり、天井も低く造りもいよいよ質素になって、井戸 湯殿 台所などもご覧になると、当時のつつましい生活がしのばれます。
 なお休憩所は、かつてあった味噌部屋を想定して再建したものです。この屋敷のような中級武士の住んだ建物が当時のまま保存されているのは、全国的にも貴重なものといえます。

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写真 田部美術館【たなべびじゅつかん】
 山林王といわれた飯石郡吉田村の田部家25代にわたるコレクションの中から、特に茶道関係のものを選んで展観する美術館です。
 鉄の錆色を生かした特殊な鉄板ぶきの入母屋(いりもや)づくり2階建の本館は、創設者である元島根県知事田部長右衛門朋之(故人)の要請で、菊竹清訓の設計によるものです。
 展示品の中には、茶人大名不昧公(松平7代藩主治郷公)の所蔵であった「秋埜」の銘のある青井戸茶碗をはじめ、瀬戸の茶入れ「京わらべ」など重文クラスの名品がいくつかあります。
 また、昭和59年(1984)からはじまった茶の湯造形展には、中国地方を中心に各地から数多くの出品があり、若手新人作家の登龍門として有名になっています。

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写真 小泉八雲旧居【こいずみやくもきゅうきょ】
 「知られざる日本の面影」など数々の作品で日本を紹介し、日本の理解者だった小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、明治24年(1891)5月から11月までの6カ月間、夫人とすごした家です。
 ハーンは明治23年(1890)8月、島根県尋常中学校の教師として赴任し、わずか1年3カ月後に熊本の第五高等学校へ転任しましたが、松江在住中に小泉セツと結婚し、出雲の地に日本の伝統文化を見出して、持ちまえの探求心から日本の伝統文化の研究にとり組みました。その著作の多くはこの家で書かれ、あるいはヒントを得たものでした。
 旧居は平屋建瓦ぶきの日本家屋で、今から約200年前の享保年間禄高500石未満の士族の屋敷として建てられたものです。  ハーンは三方に庭が見える左側の3室を主に使っていました。部屋の置物や庭木などは持主の根岸家の努力で当時のまま保存されています。

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写真 小泉八雲記念館【こいずみやくもきねんかん】
 隣接する小泉八雲旧居との調和に配慮され、長屋門と塀とを配し、土蔵づくりをモチーフとした純和風様式として昭和59年に建て替えられました。
 館内には、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が日ごろ愛用しました遺品160点を含む、820点が展示されています。左目が不自由だったハーンが特別注文してつくらせた脚の長い文机、ランプ、ペン皿、また横浜港に上陸したとき持っていたトランクや洋服など、興味深い展示品があります。
 改築前の建物は、昭和8年(1933)山口文象の設計による白亜の建物でした。ワイマールのゲーテ記念館を参考にして建てられたギリシャ風のものといわれています。

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写真 松江堀川 地ビール館【まつえほりかわ じびーるかん】
 藩政期の松江ビール工場が再び130年の歳月を経て、今、蘇える。松江堀川沿いの一角にノスタルジックな香りを漂わせる地ビールとビアレストラン、そして特産館。懐かしく、新しい、松江ルネッサンスのはじまりです。

■館内のご案内
1F:特産館
地ビール立ち飲みカウンター
2F:ビアレストラン

<営業時間>
1F/AM9:00~PM6:00(冬期PM5:00)
2F/AM11:00~PM2:30、PM4:30~PM9:00
※シーズンにより休館日をもうけることがございます。

駐車台数:乗用車180台・大型バス13台

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写真 城山稲荷神社【じょうざんいなりじんじゃ】
 松江藩の基礎を築いた、松平直政が勧請した神社で、名工・小林如泥作の木狐等を社蔵としています。小泉八雲は境内を囲む石の狐を大変好み、よく訪れていたといいます。日本三大船神事・ホーランエンヤでも有名です。

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写真 椿【つばき】
 松江市の花は椿です。
市の花を『つばき』と選定した理由は、
1.古く藩政時代から、つばき油採取の殖産事業として市民生活と結ばれている。
2.松江を象徴する松江城の外郭に椿谷の名称が残り現にうっそうとしたつばき林がある。また市内随所に植栽されている。
3.全国に生育しているが、松江の気候風土は椿の成育に適し、挿木でも容易に苗木の育成が可能である。また品種も多く、最近では外国観光客の人気を博しており、国際的な花として知られてきている。
4.雪の中、濃い緑の間に色あざやかに咲き出ている姿は、春を夢見つつ、困苦に耐えている姿で松江人のねばり強さにも通ずるものがある。 等が挙げられます。

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写真 松江郷土館(興雲閣)【まつえきょうどかん(こううんかく)】
 松江城山二の丸、上の壇に松江神社と隣り合って建つ木造洋館。明治36年(1903)明治天皇の行幸を願っていた松江市が当時の金で1万3,489円を投じて御宿所として建てました。しかし、行幸が正式決定しないうちであったので、当初は工芸品陳列所の名目でした。
 横29.2m、奥行き14.5mの2階建で、正面に車寄せがあり、周囲を優美な柱頭飾とふっくらとした丸柱のコロネード(列柱廊)をめぐらしたのが特色です。
 明治天皇の行幸はありませんでしたが、明治40年(1907)5月、当時皇太子だった大正天皇がおいでになった時はここで3泊されました。
 松江地方に残る数少ない明治建築で、県文化財(昭和44年=1969)に指定されました。昭和48年(1973)からは郷土の歴史・民俗資料・民芸品などを展示しています。

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写真 月照寺【げっしょうじ】
 松江藩主松平家の菩提寺で、初代直政から9代斎貴までの墓があり、山号を「歓喜山」といいます。
 もともとここには洞雲寺という禅寺がありましたが、寛永15年(1638)信州から移封されてきた直政が、生母月照院の菩提を弔うため寛文4年(1664)大々的に改修、月照寺と改めました。
 本堂をはじめ中心的堂宇は江戸時代末の火災で焼失しましたが、墓所だけは廊門ともどもほぼ完全な姿で残り、その閑雅なたたずまいは小泉八雲も激賞しました。一番左手にある初代直政の墓所は、周囲に堀をめぐらした最も大きなもので、また山門正面にある7代治郷(号不昧)の墓の廟門は不昧が愛した名工小林如泥の作によるもので、飾りのブドウの透かし彫りなどが見事です。
 また6代天隆院(宗衍/むねのぶ)の墓には、大きな亀に乗った石碑(寿蔵碑)があります。碑文は松江藩医家で儒学者の天愚孔平(荻野喜内)の撰です。夜な夜なこの亀が町へ出歩き人々を驚かしたという、ハーンの怪談でも有名です。
 山門入口には、松江藩お抱え力士雷電の手型を彫り込んだ雷電為右衛門(信州の出身)碑があります。7代治郷公に召しかかえられ254勝10敗で史上最強といわれます。
 そのほか歴代藩主の廟門は、それぞれの時代の特徴とその時々の藩の財政状態も反映しており、興味深い所です。また山門前には宝物館があり、代々藩主のゆかりの遺品が展示されています。

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写真 宍道湖【しんじこ】
 松江市の西方にひろがる湖。観光島根のシンボルの一つで、ラフカディオ・ハーンはじめ多くの芸術家たちがここに取材して数々の作品をつくりあげました。特に宍道湖大橋から嫁ヶ島付近にかけての湖岸から望む夕焼けはすばらしい眺めです。
 周囲45km、東西16km、南北(最大)8.5km、面積80.3k㎡、水深(平均)約4.5m、最大深部6mの全国6番目に大きい湖で、大橋川を経て中海とつながる塩水のまじった汽水湖です。魚介類が豊富で味も抜群。シラウオ、アマサギ(ワカサギ)、スズキ、コイ、エビ、シジミ、ウナギは”宍道湖七珍”とされ、このほかフナ、ゴズ(マハゼ)も多いです。 昭和39年(1964)県立自然公園に指定され、ヨットやカヌーにも最適です。冬には多くの水鳥が渡来し、その数は1万5000羽を数え、西日本有数の水鳥の渡来地となっています。
 地質学的には海跡湖といわれ、弥生時代に斐伊川と神戸川の沖積作用により出雲平野が、また鳥取県の日野川によって弓ヶ浜が形成され、中海と宍道湖がヒョウタン型に残りました。くびれた部分が大橋川です。

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写真 宍道湖七珍【しんじこしっちん】
 海水と淡水が入り混じっている宍道湖は、四季折々の味覚を豊富に産しています。その代表的なものを宍道湖七珍と呼びます。白魚、あまさぎ、すずき、鯉、えび、しじみ、うなぎの七品です。宍道湖の七珍は、新鮮な味のよい魚介類にめぐまれた松江の風土ならではの、単純なようにみえてとてもぜいたくな料理で、全国から訪れる観光客に喜ばれています。

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写真 カラコロ工房【からころこうぼう】
 松江をこよなく愛した小泉八雲が、明治23年当時、木橋であった松江大橋を渡る「カラコロ」と響く下駄の音に深く心ひかれたことから名付けられたカラコロ工房。全国でも珍しく旧日本銀行を匠の名のもとにリニューアル。
 製販一体型の工房は、創る・見る・味わうを一堂に集めて、レトロ&モダンの洒落た雰囲気を醸し出す。
 多目的に利用できるガーデンテラス、ギャラリー、各種教室とアミューズメント要素いっぱいのゾーンを演出。

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写真 カラコロ広場【からころひろば】
 カラコロ広場あたりの街並みは、京店(きょうみせ)と言われています。これは、店のひさしを長くし、京風の街づくりが行われたことから、京を見る世と書いて京店と呼ばれていました。

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写真 松江大橋【まつえおおはし】
 慶長13年(1608)、松江城築城の際に造られ、現在は17代目になります。全長138m。橋の中央両側には展望のための張り出しが作られ、欄干は総御影石製で、擬宝珠がつけられています。ここからの眺望は松江観光のポイント。この橋のたもとには、人柱となった源助の供養碑と、千人かかっても動かせなかったといわれる「大庭の音のする石」があります。小泉八雲の「知られざる日本の面影」にも、情緒あふれるこの橋のことが、愛情をこめて描かれています。

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写真 鼕行列【どうぎょうれつ】
 鼕(どう)行列は毎年11月3日、松江神社の大祭、松江祭にくり出されます。この由来は五代藩主松平宣維の奥方として享保9年(1724)京都伏見宮家から岩姫が降嫁したとき、城下の人々がこれを祝って大きな鼕をつくり、打ち鳴らしたのが始まりと伝えられています。鼕台に直径2mの大鼕を二つのせて、これをハッピ姿の子供たち数十人がひき、威勢のいい若者たちが撥さばきも鮮やかに鼕をたたきながら、町内をまわり市中を練り歩きます。山陰の秋を彩る伝統行事として親しまれています。

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写真 ホーランエンヤ【ほーらんえんや】
 ホーランエンヤという名で親しまれている、城山稲荷神社式年神幸祭。古くから宮島の管絃祭、大阪天満の天神祭とならんで、日本三大船神事の一つと言われます。このホーランエンヤは、松江市が誇るこの地方最大の祭りです。
 起源は、松江城主松平直政公が出雲に入国して10年目(1648年)は天候不順で不作が予想されたので、城山稲荷神社の御神霊を阿太加夜神社にお運びし、1週間にわたり豊作を祈ったのが始まりです。
 その後、1808年の御神幸の折神輿船が暴風雨のため座礁しかけたのを馬潟の漁師が助け、阿太加夜神社に無事送り届けた故事により櫂伝馬船が加わるようになりました。民衆の幸福と豊作を祈願するこの船神事は、以来12年毎に船渡御による神幸祭として行なわれ、古くからその年は豊作であったといわれています。

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写真 水郷祭【すいごうさい】
 水の都松江を代表する最大の夏祭りです。湖上花火大会を中心に様々なイベントが繰り広げられ、宍道湖、大橋川、堀川をステージに終日賑わいをみせています。

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写真 観月庵(普門院)【かんげつあん(ふもんいん)】
 松江城の鬼門の祈祷所でありました、普門院境内にある三斎流の茶室です。不昧公の招きで松江へ来ました荒井一掌の設計です。
 内堀に望む閑雅な境内は芭蕉堂や句碑もならび、小泉八雲の怪談の舞台にもなっています。

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